【村 長】 太田 直樹
【副村長】 田名部 二郎
【位置と地勢】
佐井村は、本州最北端の下北半島西側に位置し、津軽海峡に沿って南北を底辺とする細長い三角形をなしています。東西14km、南北28kmにおよび、北部は大間町、東部、南部はむつ市にそれぞれ境を接し、津軽海峡を隔てて北海道渡島と相対しています。
地勢は概して峻険で平坦地が少なく、ほとんどが山地となっています。したがって役場所在地の佐井地区を中心に南部、矢越地区以南は、山岳が海岸線までせまっていて、断崖絶壁をなしています。このため耕地は極めて少なく、原田地区と野平盆地にわずかにあるにすぎません。河川は、大小9河川ありますが、主なものは、2級河川の大佐井川、古佐井川、福浦川でいずれも川床の上昇が進んでいます。主な幹線道路は、北と南を結ぶ国道(338号線)1路線、東側のむつ市を結ぶ県道2路線が整備されています。
【歴史・沿革】
佐井村は南北に埋蔵文化財包蔵地が16箇所点在しており、近年の八幡堂遺跡発掘調査により出土した「重ね埋設土器」や「二重口緑土器」、糠森遺跡発掘調査により出土した日本最大級の鐸型土製品(津軽海峡文化館「アルサス」内の海峡ミュウジアムで展示中)などに代表されるように、縄文時代より生活文化圏を形成してきた地域です。
斉明5年(659年)3月、安倍比羅夫が秋田・能代・津軽の蝦夷を宣撫し、津軽有馬(間)浜において蝦夷帰順の式を挙げ、イブリサエの蝦夷20人が招かれたと日本書紀の記述にあり、このときのイブリサエが後に「さい」の地名由来になったと言われています。
下北地方を古くには糠部郡宇曾利郷と称した時代がありましたが、江戸時代には南部盛岡藩の所領となり、藩では田名部に代官所を置き支配してきました。
享保3年(1803年)、幕府は佐井を蝦夷地渡航の港と定めて以来、明治初頭に至るまで北国廻船(弁材船、北前船)の往来があり、海産物と木材の積み出す下北半島の良港として繁栄しました。
明治22年町村制施行の際に、旧佐井村と旧長後村が合併し、旧1村区域を大字とし、大字佐井・大字長後をもって新たに佐井村となり、平成元年に村制施行100年を迎え現在に至っています。
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